一 御林[おはやし] 三ヶ所、所城[ところじ]、桜山、いつくしま、三ヶ所があります。管理は地元でしています。
「享保八(1723)年 酒々井町村明細書」
桜山から築山へ
江戸時代に酒々井には佐倉藩の御林が三ヶ所ありました。御林とは佐倉藩所有の土地で藩が必要な材木を確保するための広い山林を指します。
酒々井の御林は三ヶ所とも広い山林ではありません。この御林は戦国時代の見張り台や砦の跡でしたから、佐倉藩も戦いに備えて直接の所有地にしたのでしょう。
「所城」は現在の中央台二丁目のあたりにあった小さな砦でした。
「いつくしま」はカンカンムロのあるところで印旛沼を監視する見張り台があります。
そして「桜山」は現在でも酒々井で一番、眺めの良い「築山[つきやま]」のことです。
戦国時代には「いつくしま」の見張り台とともに、印旛沼を通行する船を監視する場所でした。
御林は藩の許可なく立ち入ることや木を切ることは禁止されていましたので「桜山」に桜を植えることはありません。おそらく「桜山」には遠くの船から眺めることのできた山桜があり「桜山」と呼ばれたのでしょう。
明治の始めに佐倉藩が無くなると御林は希望者に売られることとなり「桜山」は地元の木内常右衛門[つねうえもん]に払い下げられました。
常右衛門は「桜山」を近江八景に真似た自宅の庭の一部として使用したことから「築山」と呼ばれるようになります。明治十四(1881)年と十五年に三里塚の下総種畜場[しゅちくじょう]に向かう明治天皇が往復の四回の休息所として常右衛門の家に足を運ばれました。
現在、築山にはこの時のことを記念する昭和三(1928)年に建てられた大きな碑が立っています。
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木内常右衛門宅 『千葉県博覧図』
に加筆。
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酒々井町村麁絵図
部分に加筆。
明治天皇駐ひつ碑