「酒々井風土記 -酒々井宿物語-」のタイトル

27 桜山のこと

「28 厳島山のカンカンムロ」のタイトル

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むかし、厳島山の近所に住む若者が、結婚式を迎えようとしていたが、式に使うお椀やお膳が借りられず困っていた。

若者が厳島山の弁天様にお願いしていると「ほら穴」から「望みをかなえよう」との声がした。若者はその前に立ち「お椀とお膳を貸してください」と柏手を打つと「ほら穴」から「翌朝、取りに来い」との声がした。

声のとおり若者が取りに行くと「ほら穴」の前にお椀とお膳が置いてあった。若者は結婚式が終わると借りたお椀とお膳を返した。

このことが評判となり、借りる者が増えていったが、ある男が蔵に隠して返さずにいた。ところがいつの間にか、蔵に隠したお椀とお膳は消えてしまったという。

それからというもの、いくらお願いしても品物が出てくることは無く、柏手の音が「カンカン」と「ほら穴」にひびくだけでした。

そののち「ほら穴」は「カンカンムロ」と呼ばれるようになりました。

厳島山御林[おはやし]のこと

酒々井区の新堀には印旛沼に浮んだ島のように見えていた厳島山があります。

江戸時代の絵図には「いつくしま御林」と書かれており、佐倉藩が直接に所有していた土地でした。高さは約27m、印旛沼への眺めは最高に良い場所であり、川の神である弁天と水運の神である住吉の社[やしろ]が祀られています。戦国時代は印旛沼を監視する物見台であった場所で、天正十九(1591)年には北側の低地に船着き場「新堀河岸[しんぼりかし]」が築かれました。

この厳島山の西側には「カンカンムロ」と呼ばれる「横穴[おうけつ]古墳」があります。町史によれば、上下二段に分かれて七基あるとしています。そのうち最北端の一基が昭和二十二年に発掘調査され、青銅碗[わん]、めのう勾玉[まがたま]、直刀[ちょくとう]、鉄鏃[てつぞく]、須恵器[すえき]、人骨三・四人分が発見されました。その遺物から七世紀の終わりから八世紀初めに築かれたとされています。千葉県の北部では横穴古墳は数が少なく、町の文化財として指定されています。

  • 「カンカンムロ出土 銅碗」画像
    カンカンムロ出土 銅碗
    7世紀後半
  • 「厳島山」画像
    厳島山
    山の裾付近が
    カンカンムロ。
「下がり松からの景」画像
『成田参詣記 巻四』
下がり松からの景

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