酒々井町の北にある坂道を下りながら右折すると「下がり松」に出る。
美しく優しい地形で、近くに印旛沼を望み遠く筑波山が高くそびえ、春夏秋冬の展望は素晴らしく良い。
昔この場所には二、三の祠[ほこら]があるだけで両側は堤防のような崖で大小の木々がうっそうと茂り、昼なお暗く追いはぎが出たりしたので、人々は恐れて夜に通ることを控えていた。
ある夕暮れ時にここを通った村人が道端に百文の銭を見つけ拾おうとしてその方向を見ると首つりの死者が木からぶら下がっていた。村人は驚き我を忘れてしまい、銭を拾うのを忘れて家に戻った。
それを聞いた村人たちはこの場所を「百とらず」と呼ぶようになったという。
天保元(1830)年の正月、村人がこの地の風景をいとおしみ木を伐[き]り茶店を開いた。
茶店からは広大な印旛沼、筑波山、白い帆の高瀬舟[たかせぶね]、漁師の小舟が沼に浮かんでいる様が絵のように眺められた。
『印旛郡誌』 大正二(1913)年現代語訳
宿はずれのお話し
下がり松は酒々井でも眺めの良い場所ですが天保以前はたださみしい場所であり、恐ろしい場所であったようです。宿はずれとは神様や妖怪の住む山との境界です。天狗のお話や人かくしの伝説がある本佐倉文殊寺も境界です。
江戸時代の終わりに成田山への参詣者が多く通るようになると、宿はずれも人が住み怖い場所ではなくなったようです。
『成田参詣記 巻四』
下がり松からの景