江戸時代の終わりから明治の始めの頃まで、酒々井下宿に石井平兵衛[いしいへいべい]が開いていた「青樹堂」という手習[てなら]い塾(寺子屋)がありました。 最初は小さな塾でしたが次第に塾生が増え、下宿の観乗院[かんじょういん]跡に二階建ての塾舎を建て、多くの子どもたちに読み書き、そろばん、算数、地理などを教えていました。
明治五(1872)年の入門者は男五十人、女三十人で翌年に青樹堂を引き継ぐように開校した中川小学校が男六十二人、女二十二人でしたので、その規模は公立の学校と変わりないものでした。
青樹堂で学んだ塾生は三百人余りとされ、塾生たちの寄付により記念碑が建てられています。
石井家には青樹堂で使用した教科書や塾生の名簿が多く残されており、酒々井の教育を理解するうえで大切な史料となっています。
酒々井町の手習い塾のこと
酒々井区はかつて城下町であり、宿駅[しゅくえき]であり、幕府の野馬会所[のまかいしょ]が置かれていたため様々な職業を営む人々が暮らしていました。このため教育にも熱心でした。酒々井町には高幡南渓[たかはたなんけい]と石井平兵衛が手習い塾を開いていましたが、石井家には南渓から送られた本があり、この二人は師匠と弟子であったかもしれません。
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青樹堂の教科書
九九算
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青樹堂の教科書
習字手本