七月十六から十八日の三日間は酒々井四町(上・中・下宿・横町)新堀[しんぼり]、中川、停車場[ていしゃば]の祭り、牛頭天王[ごずてんのう]の祗園祭りです。
十六日の早朝に「幟立[のぼりたて]」のため家々から人が出、地区ごとに幟[のぼり]を立てます。続いて上宿天王社から柱などを運び「お仮屋[かりや]」を中宿の高札場前に組み立てます。
この日の夕方五時に「飾り神輿」をお仮屋に舁[か]き移します。この神輿とは別に「揉神輿[もみみこし]」を年番[ねんばん]の男女が酒々井四町の幟の間と新堀、中川、停車場を揉み歩きます。
中川境の天王休み所では神主がこの地の水でお浄めをします。揉み歩きは暁になってようやくお仮屋に納まります。
祭りの当番は「年番」といい、上宿・中宿・下臺[しもだい]と下宿・横町・新堀・停車場とに分かれ輪番で勤めます。
かつては佐倉藩から神輿警護の武士が派遣されてきました。
町内の男達は皆、神輿を舁き歩きますが、いつの間にか全町の血気盛んな男たちが入れ替わり舁くようになります。夜遅くになろうとも家々では「御神酒[おみき]」を出すので、揉人はさらに景気付くこととなります。
「飾り神輿」の渡御[とぎょ]にも「揉神輿」を揉み歩くにも常に「世話人[せわにん]」がいて、終始付き添い、無事に目出度く納まるよう気を配ります。「世話人」は年番世話人へ各町二人宛と下宿に大世話人(世話人取締り格)がいます。
十七日は神輿がお仮屋に鎮座する夜宮[よいみや]です。早朝に世話人等が集まり、郷部[ごうぶ]村の麻賀多神社の神主が来て祝詞[のりと]をささげます。見物客や夜店が出て賑やかです。
十八日夕刻に「神輿還御[みこしかんぎょ]」となります。揉神輿は四町内を揉み歩き、天王社に納めるのは前々日と同じく暁のころとなります。
十九日の早朝に幟を返し「花流し」といって町ごとに集まり慰労[いろう]のための酒宴を開きます。
『酒々井町の年中行事』