江戸時代の酒々井には宿の「祗園[ぎおん]の宿[しゅく]祭り」、城下の「鎮守八幡[ちんじゅはちまん]の祭礼」、村の「鎮守の村祭り」がありました。
「祗園の宿祭り」
七月十六日、十七日、十八日の三日間に行われた牛頭天王社[ごずてんのうしゃ](上宿の八坂神社)の祭礼で酒々井町・宿場のお祭りで祗園ともよばれていました。
祭礼の中心は「飾り神輿[みこし]」と「揉神輿[もみみこし]」と呼ばれる二基の神輿を担ぎ町内を巡るものでした。揉み神輿は飾りがない神輿で乱暴に担がれていたと伝わります。明治五年末に暦が変わったため、現在の祭礼は八月に行われています。また神輿は昭和三十年代に中断し一時復活しましたが、交通事情などから現在は神輿の渡御[とぎょ]は行われていません。
「鎮守八幡の祭礼」
八月に行われた千葉氏・本佐倉城時代からの祭礼、大佐倉八幡神社の神輿が本佐倉町を通り、酒々井町で一泊してから大佐倉にもどる。千葉氏の祭りらしく競馬[くらべうま]があります。
「鎮守の村祭り」
十月に行われる酒々井村の祭り、酒々井村の鎮守麻賀多神社の祭りです。
三つの祭りは酒々井町が持っていた宿・城下・村の成り立ちを伝えていました。
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八坂神社 飾り神輿 左
揉神輿 右
江戸時代は牛頭天王社と呼ばれていました。