本佐倉を過ぎ酒々井宿に出ます。宿の中ほど左には「辻屋」という泊りができ、昼は飲食もできる店があります。(略) 左に麻賀多明神の宮森の茂みあり、この向かい側の右の「かしわ屋八衛門殿」という百姓があり。去年に友人と一緒に泊まった。(略)
寛政十(1798)年 『成田の道の記』
泊り客のこと
酒々井町は城下町、宿場町、野馬会所の町として多くの人々が往来していました。江戸後期以降には成田不動や芝山観音の参詣者も迎え入れる町となります。
記録と言い伝えでは佐野屋、米屋、大国屋、笹屋、中屋、阿波屋、槌屋、甚内、岩城屋、柏屋という宿屋が宿(しゅく)の中にありました。
成田宿の三十数軒や臼井宿の十数軒などに比べれば件数や規模などは及びませんが、大和田宿の五軒に比べれば多いほうでした。大和田宿では宿泊客1日平均55人であったと記録されており、単純に酒々井宿の軒数と比較すると酒々井には一日100人の宿泊客があったことになります。
もっとも成田不動の参詣客は大和田・臼井に泊まり、成田宿に近い酒々井は休息場所でしたので、泊り客は大和田宿より少なかったかも知れません。
このほか宿ではありませんが小見川藩、多古藩、高岡藩の参勤交代の宿所・休息所として本陣があったといいます。
佐倉藩主からの差し入れ
天保五(1834)年十一月に小見川藩主が参勤交代のため、酒々井宿に宿泊した時に佐倉藩から差し入れが宿所まで届けられました。中身はお菓子七種、煮しめ七種の御馳走でした。
『佐倉藩年寄部屋日記』