家数百三十軒(略)本家百七軒「享保八(1723)年 酒々井町村明細書」
上町 よし田屋、干物屋、そばや 仲町 槌(辻)屋、芳野屋、山屋両家[やまやりょうけ]、豆ふ屋、入(いり) 下町 津田屋半兵衛、さの屋勘右衛門宇八、ときわ屋、小松川、しがらき 横町 ひたち屋平太郎文政十一(1828)年 『東光寺文書』
舛屋粂七[ますやくめしち]、柳谷四郎右衛門、吉田屋治右衛門安政四(1857)年 『野馬日誌』
いろいろな店
江戸時代の酒々井町には約百三十軒の家がありました。
古い資料からは問屋、宿屋、そば屋、茶屋、豆腐屋、大工、口入屋[くちいれや](職業紹介屋)、馬医がいたこと、伝承からは屋根屋、桶屋、井戸屋、餅屋、足袋[たび]屋、煎餅[せんべい]屋、馬鞍[うまくら]屋、馬具屋、甘酒屋、油屋、こんにゃく屋、あんま屋などがあったと伝えられています。また仲町の南側、野馬会所の並びには会所に勤める捕手たちの家々が並んでいました。
『成田参詣記巻四』 酒々井駅の図
宿屋、雑貨屋、二八そば屋や行商人、
荷物を背にした馬などが描かれている。