酒々井町大台の山に四方に土手を回らせ、野馬[のま]を逃げるのを防ぐように造られた場所があります。
昔、戦国時代の天正より寛文二(1662)年までの間、野馬込場[のまこめば]としてさまざまな人々が集まっていた場所です。
当時の光景を想像してみると、野馬役所や野馬奉行の屋敷そして役人たちの住居が多く立ち並んでいたのでしょう。今でも屋敷跡と伝わる場所がたくさんあるのはその名残に違いありません。
寛文二年に酒々井仲宿に野馬役所が新設され移転すると、大台の野馬込場は不用となり捨てられることになりました。その後は木こりや薪[たきぎ]取りの他は訪れる者はなくなり、古込[ふるごめ]と呼ばれることとなりました。
『印旛郡誌』 大正二(1913)年現代語訳
大台山の侍屋敷[さむらいやしき]と馬牧[ままき]
東酒々井三丁目の東はかつて大台山と呼ばれていました。千葉氏が滅んで三年後の文禄[ぶんろく]二(1593)年の酒々井区の記録では、大台には玄番[げんば]や、四郎左衛門など九名が住んでいました。
天保十五(1844)年の絵図に大台屋敷山[おおだいやしきやま]と描かれています。
酒々井町村麁絵図
部分「大台 畑 屋敷山」
現在の東酒々井三丁目。
昭和40年前半の大台山
左右に囲いの土手が見える。