酒々井町村麁絵図[そえず]の中央には朝日[あさひ]神社、文殊院[もんじゅいん]、大杉社[おおすぎしゃ]、観乗院[かんじょういん]の二寺二社がくっついて描かれています。この場所は酒々井四町の横町の真ん中から下宿あたりになります。
朝日神社は横町の鎮守として現在も同じ場所にありますが、文殊院、大杉社、観乗院は現在では存在していません。
観乗院は東台の不動堂が移転した場所であり古文書にも書かれていますが、文殊院と大杉神社は「享保八(1723)年 酒々井村町明細書」にあるだけで詳しいことは分かっていません。
明細書には「印旛郡酒々井町、東光寺末、真言宗、文殊院、湯宕山[ゆごさん]文殊院安養寺[あんようじ]」とあり「山号[さんごう]、院号[いんごう]、寺号[じごう]がある格式のある寺で朝日神社を管理していた」とあります。また「大杉神社は本佐倉文殊寺の末寺である観乗院が管理していた神社」と書かれています。
横町の東の粟ノ洲には淡島神社[あわしまじんじゃ]もあり、この一角には寺院と神社が集まっています。横町は古い土地台帳では通りに面した間口の広い屋敷が連なった家並で、戦国時代の終わりの頃に新しくできた酒々井町に組み込まれて成立した町であると考えられます。
二寺二社が集まっているのも戦国時代の町を新しく区画整理した町づくりに関連しているのでしょう。
酒々井町村麁絵図
部分横町ニ寺ニ社と淡島神社
右上は高札場。(現在、役場入口交差点)