酒々井町 町の歴史

公開日 2015年03月23日

酒々井の街道と道しるべ

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酒々井の街道の歴史と町内の道標などを紹介しています。

酒々井風土記-酒々井宿物語-

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佐倉城下の東端、江戸時代に栄えた酒々井宿の街並みや神社・寺院・お祭り・伝承などを紹介しています。

歴史

縄文土器 阿弥陀如来坐像 中川の景
伊篠白幡遺跡
出土の縄文土器
長福寺
阿弥陀如来坐像
中川の景(三代目広重画)
「成田土産名所尽」
成田山図書館蔵

酒々井町では旧石器時代の墨古沢南Ⅰ遺跡から石器が発見されており少なくとも今から約3万年以前から人が住んでいました。

その後の縄文時代の縄文土器片は町の台地から多く見られます弥生時代の遺跡や古墳も発見されています。

その後の奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代に至るまで、この酒々井町は古くから人が暮らしていた住み易い場所であり、古代には、古東海道が貫通し、中近世には、成田道(佐倉道)、小見川路、香取路、銚子路などの要衝の地として、人の往来の盛んな地域でした。

この長い歴史のなかで、中世戦国時代には下総の国を統治した千葉氏が本佐倉城を築城し、約100年にわたり、政治・経済の中心地として栄えました。

江戸時代には江戸幕府直轄の牧場(まきば)を管理する役所のある町、成田道の宿場町として賑わい、明治22年の町村制施行の際、近隣16か町村が合併し、酒々井町が誕生しました。

以来、着実な歩みを続け、昭和50年代には、大規模な住宅開発に伴う急激な人口増加により、それまでの農業中心の町から、都市機能を備えた住宅都市へと変貌し、人口2万人を超える町へと発展しました。

写真で見る町の歴史

本佐倉城跡

本佐倉城跡

酒々井町本佐倉地区と佐倉市大佐倉地区にまたがる丘陵地に、中世戦国時代に繁栄した本佐倉城跡(地域約35ha)があります。

本佐倉城は文明年間(1469年から1486年)に、千葉輔胤によって築城されました。輔胤は、享徳3年(1454年)に始まる関東の動乱のなかで千葉宗家を継いだ人物で、千葉氏代々の居城であった「千葉城」が戦場になり荒廃したため、「本佐倉城」を築いて新たな千葉氏の居城としました。「本佐倉城」は、以後百有余年にわたる戦国時代を通じて下総の中心となり、千葉家の当主9代が城主として下総を治めていました。

大永年間(1521年)頃、最初の城の改修と城下の整備が終わり、城を中心に家臣や商人が集められ、武家屋敷や町屋・市の形成が進みました。

この頃千葉氏は下総の覇権をめぐって小弓公方や上杉氏・里見氏との合戦を繰り返していたため、小田原北条氏と婚姻を結び、手を組みましたが、しだいにその勢力は弱体化し、ついには親胤・邦胤の二人の当主が城中で家臣に暗殺されました。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原城攻めで北条氏に味方した千葉氏は滅亡し、本佐倉城は明け渡されました。その後、徳川家康の家臣が入城しましたが程なく廃城となり、その歴史を閉じました。

本佐倉城跡の空掘

本佐倉城跡の空掘

本佐倉城跡は主郭群(城主の空間)と外郭群(家臣の空間)が同心円上に配置され、主郭群は7つの郭(「城山」、「奥の山」、「倉跡」、「城ノ内」、「東山馬場」、「東光寺ビョウ」、 「セッテイ」)と付属する腰郭群から構成され、城の中核部分を形成しています。外郭群は、城域の南端に位置する「向根古谷」で構成されています。

平成2年度から5年度に遺構確認調査で主郭群と外郭群に巨大で複雑な空掘・土塁などの防衛施設がめぐらされており、戦国時代の大城郭の特徴を備えていることが判明しました。また、多数の建物跡や陶磁器を中心とする大量の生活用品も発見されました。

年号 西暦 本佐倉城跡略年表
享徳3年 1454 千葉氏の内紛により千葉城炎上。直胤等多古で討死。
文明年中 1469
〜86
輔胤、本佐倉城を築城。
孝胤、臼井城を攻める武蔵千葉、太田道灌らと戦う。
明応5年
永正末年頃
〜大永年中
1496 佐倉「城中」にて家臣某誅殺される。
千葉妙見宮占領され、本佐倉城内に妙見宮遷座する。
勝胤、本佐倉城を大改修か。浜宿に勝胤寺創開。
天文年中
弘治3年
1557 親胤、城の南に城域を拡大。
親胤、城内妙見宮で暗殺される。親胤舎弟出奔。叔父胤富、家督を継ぐ。
永禄年間 1558
〜12
胤冨、後北条氏とともに武田信玄、上杉謙信、里見氏・正木氏等と戦いを繰り返す。
元亀4年 1573 本佐倉城、火災により炎上。胤冨、城普請を命ず。
天正13年 1585 邦胤、城中寝所にて殺害される。大風吹き城破損。
天正18年 1590 秀吉、小田原北城氏を攻める。千葉氏小田原へ出兵。
五月本佐倉城落城、七月小田原城落城、千葉氏没落。
文禄2年 1592 家康五男、武田信吉佐倉を拝領。陣屋を構える。

本佐倉城跡が国の指定史跡に

全国に点在する古墳や貝塚・城跡などの 文化財の価値や特色を保存・活用するために文化財保護法があります。 なかでも歴史的あるいは学術的に価値が高く、重要なものについては、国が「史跡」として指定し、 地元の市町村などが行う保存整備事業を補助しています。

本佐倉城跡は、県内でも最大規模を有する城跡であり、中世戦国時代の城郭史を知る上でも 重要な位置を占め、高い評価を受けています。このような貴重な文化遺産を残すため、 平成7年度と平成8年度の2年をかけ佐倉市と共に「本佐倉城跡保存管理・整備計画」を策定し、 約11haの城跡について国に史跡指定の申請をしました。平成8年10月18日に 国の文化財保護審議会で国の史跡指定にするよう答申があり、平成10年9月11日、国の史跡に指定されました。

史跡所在

酒々井町本佐倉

交通

京成酒々井駅から徒歩20分、JR酒々井駅から徒歩25分、京成大佐倉駅から徒歩10分

問合せ先

教育委員会生涯学習課

電話043(496)5334

 

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