房総平氏と印東庄(平安時代~中世)

公開日 2018年06月01日

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印東庄の範囲

 

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「印東庄伊篠北方村」の表記

(千葉孝胤安堵状・浄泉寺文書)

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「印東庄墨郷」の表記

(勝福寺鰐口)

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木造阿弥陀如来坐像

(長福寺)

平安時代後期から現れる武士団は、馬を使い移動し関東地方に勢力を広げます。上総、下総は房総平氏の勢力下となり、12世紀頃になると酒々井町域は、印東庄と呼ばれる荘園域に組み込まれ、房総平氏の一族である平常澄の支配を受けていました。この房総平氏やその流れをくむ上総氏、千葉氏などの武士にとって馬は欠かせないものであり、かれらは田畑の開墾とともに広大な北総台地に馬を放牧し、馬を戦いと荷物の運搬に使用していたのでしょう。

 

 

印東庄内の地名には12世紀頃に「小上」(=尾上)、岩橋(=上岩橋・下岩橋)、15、16世紀頃に伊篠、墨、佐倉(当時は酒々井のこと)などの地名がみえます。上岩橋の長福寺の阿弥陀如来坐像や尾上の小さな如来坐像、伊篠の十一面観音坐像などは、酒々井町を勢力下におく武士たちが都などとの交流を通じて仏堂を建立した名残でしょう。

また15世紀にはじめて「須々井」の地名がみえ、酒々井町の初出の記述となっています。

 

 

 

 

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