(くらあと) 江戸時代に炭になった米が発見され倉跡と呼ばれるようになったと伝えられます。この郭は中心にある郭のなかでは一番広い郭(くるわ)で、御殿や台所、倉などが立ち並ぶ、城の公的な場所とされています。