公開日 2022年11月08日
環状ブロック群とは
旧石器時代の初頭(約3万8千年前~3万年前)、下総台地を中心に石器ブロックがドーナツ状にめぐる「環状ブロック群」が多く見られています。
これら石器ブロック同士は石器の接合関係や石材の共有が見られることから、同時にまたお互いに関係を持って存在していたことがわかっており、このことから環状ブロック群は大型獣の狩猟・解体を協力して行うため、石器・石材の交換や獲物に関する情報交換などを行うため、一時的に各集団が集まり集団間のつながりを確認したりするために環状集落を形成したものと考えられます。その中で中央の空間は獲物の解体や調理などの日常作業を行う「共有広場」として機能していたものと考えられます。
そして墨古沢遺跡などのような大型の環状ブロック群には100~150人が暮らしていたと推定されます。
日本旧石器文化の三大特徴
「環状ブロック群」は「陥穴(おとしあな)」「刃部磨製石斧(じんぶませいせきふ)」と並ぶ日本旧石器時代の3大特徴であり、世界史的に見ても例を見ない日本独自の旧石器文化のひとつとされ、日本の旧石器時代を考える上で欠かすことのできない遺跡です。
旧石器時代の遺跡は開発に伴う緊急調査で発見される例が多く、旧石器時代の遺跡のほとんどは地中深くから検出されるため、事前に(調査前段階で)その有無や種類・規模の把握は難しく、開発に伴う緊急発掘調査で発見され、調査が行われて完了してしまうこと(記録保存されて消滅)がほとんどです。これまで発見されてきた環状ブロック群も、貴重な遺跡でありながらも例外ではなく、石器の広がりを把握し、遺物をすべて取り上げてしまうことがほとんどで遺跡自体が残ることはありませんでした。そのため現段階で、日本国内で国史跡の指定を受けている環状ブロック群は墨古沢遺跡1ヶ所だけです。
環状ブロック群の分布
このように環状ブロック群は日本の旧石器時代の人々の行動やムラの様子を表す資料として非常に重要です。
また千葉県では全国で見つかっている133遺跡163基のうち約半数近くである56遺跡74基が確認されていて(令和2年12月末現在)、千葉県を代表する遺跡ともいうことができます。しかもその多くが印旛沼周辺に展開しています。この下総台地の中心部が、旧石器時代人が行き交う移動経路・情報交換網の交差点だったのでしょうか?