酒々井宿と野馬会所・野馬牧(近世)

公開日 2018年06月01日

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酒々井宿の図(『酒々井町村そ絵図』)

 

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豊臣秀吉の天下統一による千葉氏滅亡後に、新たに領主となった徳川家康が天正19年(1591)に千葉氏の城下町を再編したことにより成立したのが酒々井宿です。酒々井宿は、江戸時代を通じて城下町、宿駅、幕府野馬会所が置かれ水陸の交通による流通、馬市や競馬の祭礼などが開催され、近隣からも人々が集まる場所でした。江戸時代後期に、成田山や芝山観音への参詣が盛んになると大勢の参詣客も酒々井町を訪れました。


  酒々井仲宿の八坂神社

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町名由来の地・円福院跡に立つ板碑「酒の井の碑」

町名由来の地である酒々井下宿の円福院跡に立つ板碑が酒の井伝説を記念する「酒の井の碑」として語られるようになるのもこの頃です。

町名由来の地「酒の井」パンフレット.pdf(2.32MBytes)


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佐倉牧の野馬捕り(『厩馬新論』)

江戸幕府が軍馬の生産を目的とした馬牧を管理するための役所を野馬会所と言います。野馬会所は馬牧を管理する牧士の牧士頭である酒々井仲宿の島田長右衛門家に設置されました。馬牧は佐倉七牧とよばれ、千葉氏の馬牧をもとに数千頭の野馬を放牧し、年1回野馬捕りを行い幕府、佐倉藩へ納め、残りは農民等に払い下げられました。江戸時代を通じて維持された馬牧は、幕府崩壊後明治政府に引き継がれ次々と開墾され消滅し、野馬会所もその役目を終えました。

 

 

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お問い合わせ

文化観光課文化観光振興班
住所:千葉県印旛郡酒々井町中央台4丁目10番地1
TEL:043-496-0123
FAX:043-496-5323
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