公開日 2020年05月14日
しすいガイドマップ (PDF形式 約182KB) |
国指定史跡 本佐倉城跡
酒々井町の長い歴史の中でも脚光を浴びたのは、千葉氏の本佐倉城時代でした。 千葉氏の居城が千葉猪鼻城から本佐倉城へ移った後、豊臣秀吉に滅ぼされるまで、100年余も下総・上総の政治・経済・文化の中心だったからです。
城跡の規模は35万平方メートルにもおよび、現在でも土塁や空堀などがほぼ完全な姿で残されており、貴重な文化財として平成10年に国の史跡に指定されました。 戦国時代に思いをうかべながら散策してみてはいかがですか。
- 本佐倉城の位置図
- 本佐倉城跡アクセスマップ
- 本佐倉城跡アクセスガイド(プリント用PDF)
- 本佐倉城跡アクセスガイド(jpg画像)
- 本佐倉城時代の千葉氏 輔胤・孝胤 勝胤 昌胤 利胤 親胤 胤富 邦胤 重胤
- 千葉氏の滅亡
- 酒々井地方の中世城跡 本佐倉城跡
- 佐倉城下の館跡 肥前坂・肥前屋敷
- 中世の町並み ~絵図 (比較)近世の町並み ~絵図
- 本佐倉城跡パンフレット1
- 本佐倉城跡パンフレット2
- 本佐倉城跡散策マップ3
- 眠りから覚めた本佐倉城跡4
- ふるさとガイド案内
詳しくは本佐倉城跡周辺ガイド申込書よりダウンロードして下さい。
酒の井の碑
ある孝行息子が見つけた井戸から酒がでてきたことが、酒々井の地名の起源といわれています。酒の井の碑は、下宿の円福院の境内にあります。
酒々井町の遺跡
酒々井町においては、旧石器時代(3万年前以前)の石器や石核が発見されており、縄文時代を代表するものとしては、右の写真の大珠(たいしゅ)が発見されています。 その後の古代から中世に至るまで、遺跡から数多くの出土品があります。
また、12世紀の文書には、現在の酒々井町の字名である上岩橋、下岩橋、尾上などの地名が記載されおり、中世からの城館跡や寺院が多く存在していました。
大珠は、常時身に付けたものではなく、何か特別な目的のために着装したものと思われ、装飾的な意味合いより呪術的・表示的な意味が大きかったようです。 縄文時代社会における、共同体の祭礼・呪術を司る呪術者やムラ長のような人の専有品であったと考えられています。
- 旧石器時代の遺跡
- 酒々井町の縄文遺跡 位置図
- 酒々井町の弥生遺跡 位置図
- 酒々井町の古墳 鬼塚古墳
- 古東海道のルートと駅塚
- 酒々井町の字名・印東庄の成立 印東庄の範囲(イメージ図)
- 酒々井町の遺跡一覧
双体道祖神
双体道祖神は、千葉県内に13体あるうち、酒々井町に9体あります。
酒々井町の神社仏閣
酒々井町の寺院は、無住寺・廃寺等を加えると三十余ヶ寺になります。また、酒々井町の神社は、25社あります。
宗吾霊堂
京成宗吾参道駅の北側には、駅名の由来にもなっている宗吾参道があります。 駅を降りるとすぐ参道。なだらかなカーブを描きながら続きます。 その終点が宗吾霊堂。宗吾とは木内惣五郎という人に与えられた法号のことで、江戸時代に下総地方が年貢の奉納米に困っていた頃、時の将軍家綱に直訴したヒーローの名前なのです。 惣五郎は10万人の命を救い、その霊が祀られています。ここには宗吾記念館などもあり、成田参りのコースで立ち寄る人もたくさんいます。春は桜の名所として賑わいます。
蛍の里
美しい水と豊かな緑の酒々井では、真夏の夜、たくさんの平家ボタルが見られます。(6月下旬から7月末午後7時30分から9時頃まで。) 特に入り組んだ水田や小川のそばに多く飛び交っています。
印旛沼中央水路
印旛沼は釣りのメッカ。鮒や鯉をねらう人々で賑わいます。県立印旛手賀自然公園である水辺ではハイキングも楽しめ、首都圏では数少ない「水辺の園」として注目されています。京成酒々井駅から徒歩10分以内で行けます。
プリミエール酒々井
プリミエール酒々井は、文化ホールと図書館を備えたものです。 文化ホールは、講演会や音楽会など使い勝手もよく、防音構造に配慮し、親子席もあります。 図書館は、最大で8万6千冊を収蔵でき、図書や雑誌、ビデオなどを貸し出します。また、子供の読み聞かせにも利用できる「こども図書館」も設置されています。 エントランスホールは、ふれあい憩える場として、談話コーナー、休憩コーナー、インターネット検索ができる情報コーナーなどがあります。
築山
酒々井と中川の境にある通称築山は、高台に位置し、町一番の眺望を誇るといってもいいでしょう。晴れた日には富士山や筑波山も見えます。
築山の山上には、明治天皇記念碑が建っています。碑の裏面には、明治14年と明治15年に御休憩4回の文字が刻まれています。
コミュニティプラザ
酒々井リサイクル文化センターと併設されたコミュニティプラザは「憩いの場」として利用されています。 大広間(舞台付70畳、収容人数130名)や小和室、会議室、浴場、バスケットやバレーボールのできる多目的ホールなどがあります。 広場ではキャンプやバーベキューなどもできます。
しすい・ハーブガーデン「ハーブの丘」
1800平方メートルの敷地に、世界各地のハーブを植栽したハーブガーデン。 春から秋の花盛りの季節にはたくさんの愛らしい花々が爽やかに香る風に揺れています。 ガーデン内のショップでは苗や加工品の販売もあります。
獅子舞の里
酒々井町の獅子舞は、墨の獅子舞、上岩橋の獅子舞及び馬橋の獅子舞の3つが伝承されています。 江戸時代から続くこれらの獅子舞は、墨の獅子舞が県無形民俗文化財に、上岩橋の獅子舞及び馬橋の獅子舞は、町の指定文化財に指定されています。 このほか、現在は伝承されていませんが、伊篠、中川及び尾上にも獅子舞が存在していました。
墨の獅子舞
墨の獅子舞は江戸時代から伝承され、毎年7月第3日曜日に五穀豊穣と雨ごいを祈願して、六所神社と区長宅の2か所で演舞されています。 「芝獅子」「足揃え」「剣の舞」「猿獅子」の演目があり、県無形文化財の指定をうけているほか、房総の魅力500選にも選ばれています。
上岩橋の獅子舞
4月第1日曜日の午前9時から午後3時頃まで、区長宅、駒形神社、菊賀神社、大鷲神社の順番で獅子舞が演舞されます。 江戸時代から、五穀豊穣を祈願して行われており、「とおし」「れいとろ」「白羽」「弓くぐり」「一匹舞」の演目を、笛・太鼓の囃子に合わせて演じます。
馬橋の獅子舞
江戸時代より伝承されており、7月第3土曜日の夕方から、村の鎮守・香取神社で演舞されます。 五穀豊穣・家内安全・悪疫退散などの願いをかけて行われ、笛や太鼓に合わせて「芝獅子」「へいそく」「猿獅子」「剣の舞」などの演目が披露されています。
飯積の大杉
大杉は伊豆神社境内にあり、目通り周囲4.3メートル、推定樹齢700年の巨幹を誇っています。 神社の建設年代・由緒などは不明ですが、創建当時の植樹であろうと推定されています。昭和46年に町の天然記念物の指定をうけています。
飯沼本家
北総台地の中程、酒々井の地は県下きっての湖沼・印旛沼も近く、昔からの穀倉地帯。 300年の歴史を誇る、馬橋の蔵元飯沼本家は、森に囲まれた静かな恵まれた環境の中にあります。 新旧のコントラストを描き出した、銘醸造独特のたたずまい
があります。
酒々井まがり家・ギャラリー
飯沼本家に隣接する酒々井まがり家は、新潟県の旧清野邸を移築したものです。 周囲の自然と調和した趣のある家屋の中で、飯沼本家の名酒を味わうことができます。 また、2階にあるギャラリーでは、酒々井・その周辺、および千葉県在住の作家作品を中心に広く紹介し、皆様と共に芸術を楽しんでいただけます。
酒々井駅古松碑
この古松碑は、この地にあった名木「八抱えの松(やかかえのまつ)」の枯れた翌年の明治3年10月、これを惜しんだ人達の発起で佐倉藩大参事平野重久の撰文、書学教師平林辰協の書によって建立されたものです。
碑文は590余字からなる漢文で古松の事蹟、酒の井の由来、千葉氏本佐倉城時代の酒々井繁栄の様子をしのんだ名文が刻まれています。
所在:酒々井町酒々井字内方
総合公園
総合公園でテニスなどはいかがでしょうか。緑の豊かな酒々井町ですが、身近なオープンスペースも必要。広い芝生とテニスコート、野球場、球技場があります。 これらの貸出しは、総合公園管理等で申請してください。 詳細は、下記の「テニスコート・野球場・球技場の予約」を御覧ください。
農産物直売所・酒々井店
JA成田市(旧JA千葉酒々井町)が、平成6年に設立した「酒々井町農産物等直売所」です。 同店では地域に密着した「安全・安心・顔の見えるお店」が展開され、「酒々井町の農産物しか販売しない」というこだわりのもと、町においてはその基盤となる産業の中心にもなっています。
野馬牧場と牧士
江戸時代、下総の国には徳川幕府直轄の小金五牧と佐倉七牧とがあって付近住民に大きな影響を与えていました。 徳川幕府の野馬牧場経営の目的は、広漠たる下総台地の原野を利用して、軍需用、産業用として最重要であった馬を生産することにありました。
慶長19年(1614年)、このころ下総牧は佐倉牧と小金牧に分離されたようです。 佐倉牧のうち、小間子牧(八街市南部)、取香牧(成田市三里塚付近)、油田牧(佐原市の一部)は小金(松戸市)に在住していた野馬奉行綿貫夏右衛門が幕府より預けられて、四牧方と称され、酒々井町の島田長右衛門方に野馬会所を設けて、ここを中心として四牧方牧士が直接の管理にあたっていました。
酒々井の絵馬
絵馬(えま)は、神社や寺院に祈願するとき、および祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに寺社に奉納する、絵が描かれた木の板です。
個人で奉納する絵馬と大人数で奉納があり、大型の絵馬は、画家に描かせるなどして奉納者が用意することもあります。 小型の物については五角形(家型)の物が多いですが、これはかつて、板の上に屋根をつけていた名残です。
酒々井町には、18の寺社に300枚以上の絵馬があり、人々の祈りが伝わります。
酒々井の絵馬は、平成17年7月7日に酒々井町郷土研究会が発行したものです。
酒々井町の昔話
酒々井町には、数多くの昔話があります。町の名の由来となった「酒の井」、椀貸しの「カンカンムロ」、狐取りの名人「稲荷の藤兵衛」などは、ご存知の方も多いの ではないでしょうか。 そのほかにも、多くの昔話がありますので、現在、わかるすべての昔話(31話)をご紹介します。
- 酒の井 位置図
- カンカンムロ 位置図
- 稲荷藤兵衛 位置図
- 天狗の話 位置図
- 百とらずの伝説 位置図
- 家康お手植えの「ほうの木」 位置図
- 厳島の弁天さま 位置図
- 五色の花の咲く桜 位置図
- 将軍地蔵の話 位置図
- 千葉さまと茶井戸 位置図
- 一つくんねど通せんぼっこ 位置図
- 牡丹餅喜兵衛三十石 位置図
- 信玄公の首がついたお不動さま 位置図
- 鎌倉権五郎と桜の木 位置図
- 舌出しの鈴 位置図
- 八抱えの松 位置図
- 弘法様の乳の井 位置図
- 馬鹿乗りと競馬 位置図
- 魔三郎石 位置図
- 馬市の競(せり) 位置図
- りゅうがい 位置図
- 袈裟掛けの松 位置図
- 古市場 位置図
- 三度栗
- 首切所 位置図
- 塚山 位置図
- 墨の三本木 位置図
- 陣屋跡 位置図
- 鬼塚 位置図
- 弘法の滝 位置図
- 伊篠の清水 位置図
酒々井町郷土研究会
- 酒々井町郷土研究会 会報
- 酒々井の伝説を訪ねて 平成5年5月16日(PDF形式 404KB)