本佐倉城マスコットキャラクター「勝っタネ!くん」の紹介

本佐倉城マスコットキャラクター“勝っタネ!くん”ってどんなキャラ?
「勝っタネ!くん」サブタイトル

 『勝っタネ!くん』 は、酒々井町本佐倉に所在する、戦国時代の千葉氏の居城、
国指定史跡・本佐倉城跡の3代城主 「千葉勝胤(ちばかつたね)」 をモデルとして作られました。
「千葉勝胤」 は永正(えいしょう)11年(1514)に編さんされた連歌集、
『 雲玉和歌集 (うんぎょくわかしゅう) 』 の中で、
−武に優れ、大和歌にも通じ、地に幸草(さきくさ)の種をまいた(繁栄の基礎を作った)−
とうたわれた文武に優れたお殿様です。
その幸草の種と千葉氏の継名の胤(タネ)の字をかけて誕生したのが、
文武両道と勝利の神様 『勝っタネ!くん』 です。

 『勝っタネ!くん』 の体は 「幸草の種」 で作られています。
手足は、台地にしっかりと根を張る根っこでできています。
『勝っタネ!くん』 は何処にでも飛んで行って、みんなと共に力いっぱい応戦します。
身長155cm、体重130kg、胴回りおよそ300cm。
永正11年4月6日生まれの、約500歳。
本佐倉城に住む、希望と幸せへの願いに満ちあふれた、大きな大きなタネでできた殿様です。

国指定史跡・本佐倉城跡に
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「勝っタネ!くん」イラスト
勝っタネ!くんのモデルとなった“千葉勝胤”ってどんな人?

 「千葉勝胤(ちばかつたね)」 は第3代の本佐倉城主です。
1454年、千葉氏の内紛により 「千葉亥鼻城(現千葉市中央区)」 が炎上すると、勝胤の2代前の城主、千葉輔胤(ちばすけたね)は、新たに現在の酒々井町と佐倉市にまたがる地に 「本佐倉城」 を築城し、下総の支配者となりました。
本佐倉での千葉氏の繁栄は、天正18(1590)年に豊臣秀吉により滅ぼされるまで、その後約100年9代続き、最も栄えたのが 「千葉勝胤」 の時代であったと伝えられています。

 「千葉勝胤」 は、本佐倉城を大改修し、浜宿に 「勝胤寺(しょういんじ)」 を創開しました。
関東地方で活躍した武将たちの行動や和歌が掲載されている 『雲玉和歌集(うんぎょくわかしゅう)』 という私歌集に、
− 平のなにがしと申したてまつりて弓馬の家にすぐれ、威を八州にふるひ、諸道の達して政に両総にをさめ、なかにも大和歌にこころをよせて佐倉と申す地に幸草(さきくさ)のたねをまき給ふ。(略) − と書かれた箇所があります。
この 「平らのなにがし」 が 「千葉勝胤」 と推測されています。
左は晩年に出家した 「千葉勝胤」 の肖像画とされるもの。
僧侶になっても太刀を傍らに置く武将像は珍しいそうです。63歳で亡くなっています。

千葉勝胤に
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伝千葉介勝胤画像
出典: 『市民フォトちば No.109 』 千葉市広報課発行
勝っタネ!くんを動かしてみよう!

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